商品先物取引入門
4商品先物取引の歴史
■東回りインド航路発見
1499年9月、バスコ ・ダ ・ガマはほぼ2年2ヶ月を費やして東回りインド航路発見の旅からポルトガルの首都リスボンに戻ってきました。
この航海は、当時イタリア人達によって独占されていたヨーロッパと東方との貿易を直接行おうとしたポルトガル国王マヌエル1世が命じたものでした。
そうして東方貿易の対象となったのが、その頃ヨーロッパでは非常に貴重品として扱われていた香辛料でした。
冷蔵庫などがなかった時代にあって、肉は痛みやすい為長期保存が難しく、コショウやチョウジといった香辛料は、単に味付けのためばかりではなく、肉の保存には欠かせませんでした。
バスコ ・ダ ・ガマの東インド航路発見に端を発したポルトガルの香辛料貿易の独占は、やがて1531年に設立された商品取引所の原形ともいうべきアントワープ取引所(ベルギー)へと結び付いていきます。
マヌエル1世が香辛料取引の中心をアントワープに移したためでした。この建物に刻まれている「民族と言語の如何を問わず、あらゆる商人の使用のために」という言葉は、商品先物取引のルーツと当時のロマンを語っているかのようです。
東洋の香辛料を積んだ船が、まだ遥かな海上を航行しているときに、ヨーロッパの港ではこの貨物を対象に商取引が行われる取引へと発展するようになったのです。組織化された取引形態とそれに相応した場所の必要性は、いわば必然的なものでした。
■投資の必要性を説いたケインズ
イギリスの経済学者であったJ.M.ケインズが、世にいう『一般理論』を著したのは彼が 53歳の時でした。
自身何冊目かのこの著書の中でケインズは、中央金融当局なり政府なりが有効需要(社会全体で売れる量)を創造しない限り、労働者の失業問題は解決されない、と主張。
投資の増加、公共投資の必要性を説き、修正資本主義の経済理論を展開しました。
今日に至る経済社会を語るとき、私たちはA.スミスの『国富論』、K.マルクスの『資本論』などと並ぶ新しい古典、ケインズの『一般理論』を避けては通れません。
今から60年以上も前に発表されたケインズ理論が、もはや古いといわれ続けながらも、根本的な部分で今なお生き続けているというところに、彼の考え方の確かさが感じられます。